ヘミシンクのCDでバイノーラルビート (Binaural beats) に頼らなくても変性意識状態に入れるようになった。
最初の頃は、何が変性意識状態がわからなかったけれど、客観的に確認できる変異性というか特異性というか、それらが認識できると変性意識状態になったことへの迷いはない。
これって、伝えにくい。
昔から、伝えようとしてきた人はいたけれど、体験がないと、理論的な理解では言葉遊びになってしまう。
とどのつまりが、圧倒的な多数の言葉遊びによって、真実はベールに覆われて、組織力を持つ多数決の意見で真実が湾曲されてしまう。
少人数の真実の体験者の声は、異端児として扱われ、後世に正しく残ること、伝わることが容易ではない。
それでも、後世に残すために、真実を訴え続けるのか?
あるいは、社会生活を当たり障りなく生きるために、笑顔で妥協して、真実を胸の内に秘めておくのか?
個々の人生観に依存するものであるが、1Kは迷うことなく、真実を胸の内に秘めて修練を積み重ねていく。
多分、同じ人がいると思うけれど、山頂に達しない限り、風景は違うので意見も異なり、不要な論争になりかねない。
日常の社会生活を最優先させて、自らの思いは胸の内に秘めて修練に磨きをかけるのが当面は良いかと思う次第。
この「自らの思い」に客観性を持たせようとしても、主観から脱却することは容易ではない。
随処作主立処皆真
無位の真人、随処作主立処皆真
これで良いのだ、