私はホームレスでした。
私は追い出した支配人でした。
私は受け入れた支配人でした。
私はオーナーでした。
私は全ての要素を持っています。
そして誰もが、それに気づいていないかもしれません。
そして誰かも、それに気づいていないかもしれません。
ヘミシンクの目的は理解できる心と慈しみの心
ヘミシンクの目的の一つは、それに気づくことではないでしょうか?
何か特別な体験は、貴重な体験として、
それを世の中(非物質界も含んで)に、どう生かすか?
と、心が思うためには、
まず、それに気づくことではないでしょうか。
YouTubeコメント欄から一部転載
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xl-p-200v mizuさん
以前ラーメン屋で働いていました。ホームレスの男性が来て動画と同じ事を言われた僕はラーメン一杯とライス大盛りをご馳走しました。そして二千円を渡しました。これで日払いの仕事に一度行ける。そうするとその給料で何度か働きに行けると伝え、また来て下さいと最後に伝えました。
成-p-多-p- さん
私の祖母の葬式の時、お線香をあげに近く(浅草、三谷)のホームレスの人達が集まって、伯母達は途方にくれて、焼香台をもう一つ作ったそうです、訳を聞いたら、祖母は生前、毎朝お握りをその方達に届けていたとか、家族は誰も知らなかったそうです。
hika-p-009 さん
難しい話です。市役所の近くにある店でバイトしていたことがありましたが、支給日の前になると決まって、物乞いに来る方々がいました。財布を落したからバス賃を貸してくれやもう何日も食べていない助けてくれ。オーナーから絶対に金や食べ物を渡すなと言われてました。一回、善意で助けたら、彼らの間で広まり、次々とくるようになったそうです。私も対応したことがありますが、断ると。冷たいな。このことを広めるぞと罵倒されました。この物語の理念は素晴らしいが、悲しい現実もありますね。
Cho-p-ate B-p-er さん
なるほど……。ただ今回の動画で一つ言える事は、オーナーも白鳥のレストランの支配人も、無一文の人間やホームレスに「職を与えた」という事です。ただ追い出すだけで無く、恵むだけでは無い、互いがその先へ踏み出せる活路を用意した事に、この話の骨頂はあるのかなと。少なくともおんぶにだっこの進み方では無い。食べさせても全てのホームレスに職を与える事は店の雇用容量的には毎回は無理でしょうし、雇うにも人の見極めも必要かもしれませんが。
この記事のタイトルは、その心を汲んでつけています。