我が無くなる夢の中
無我夢中の本当の意味はヘミシンク変性意識
ヘミシンク変性意識から覚醒した後の不思議
ヘミシンクで変性意識と言われる状態がある。
明晰夢、体外離脱など、体験しないと全体像は理屈で説明できない。再現性のある客観的な根拠とプロセスを経た結果が誰にでも平等に体験をもたらすなら証明されたと言えるだろうが「非物質界」というモノ、いうコトが科学的に定義付けされていないので容易ではない。
そんな中、ヘミシンクCDを聴いて覚醒した後の状態で、明らかに変化がある。
明晰夢、体外離脱だけではない。
ヘミシンクの本に書かれているような体験だけではない。
ヘミシンクCDを聴いて変性意識状態になり、明晰夢、体外離脱、どちらでも良いのだが、その中での出来事はともなく、C1帰還後の覚醒した時に、ハッキリとした変化は客観的にも証明できる素材である。
ふと、無我夢中って、変性意識状態に入った人を他人が見て評価した言葉じゃないかと思った。遠い昔の人は、無我夢中を別の意味で使っていたんじゃないかと。
ぐるっと回ってレトリーバルも自己満足ではないかと。
その対象は、そもそも物質界に存在しない。
しかし、その対象を乗り越えることで自己満足へ発展し、自信につながり、自信を得た「それ」が世の中に貢献できるなら、それはそれで非常に有り難く良いことだ。
めぐりめぐって核心へ近づいてくるような「錯覚」でも、いいじゃないか。
ヘミシンクで可能性が強烈に広がったことには間違いない。
新しい体験に出会うコツ
知識でいっぱいに詰め込んだ脳みそから知識を全部捨てる。
脳みそを捨てると新しい体験は入れないから、脳みそを空っぽにして「植木鉢のような空の器」状態にする。
期待が大きすぎると、脳みそが期待でいっぱいになり、新しい体験のスペースが無くなるので期待も捨てる。
ここまでが自助努力。
限界を超えるためには、限界ギリギリまで詰め込むことではなくて、空っぽにすること。
これで新しい体験が入るスペースができる。
さて、どうやって新しい体験と出会えるか?
これは沈黙の心になれば、水が高いところから低いところへ流れ込むように自然に「新しい体験」に巡り会える。
勢いが激しいのでショックがあるかもしれない。
恐くて逃げ出すこともできるが、それでは覚醒してしまう。
だから、無我夢中ってこと。
ヘミシンクは「一つの手法」で必ず到達できる体験があることは断言できる。