ヘミシンクの音響技術ってなんの技術?と思ってたら、どうやら脳波をシータ波い合わせる技術。
不思議体験の源(シータ波、θ波)
脳波が、シータ波にさえなってしまえば、意識は変性意識状態になり(つまり夢と現実を交差する意識)不思議体験を現実感を持って味わえる。
でも、それだけでは面白くない。
それだけでは、夢がない。
変性意識を自在にコントロールできれば、集合無意識の中で地球の裏側まで行くことができたり、他人の潜在意識に潜り込んで他人の無意識をコントロール(映画、インセプションみたいな!)できたり、生きている知人に夢で会えたり、亡くなった家族に夢で会えたり、自分の前世に会えたり、自分の未来に会えたり、銀河の果てに飛んで行ったり、宇宙人に会えたり、神仏に会えたり、想像を超える体験ができたり、それらの全てが叶えられるかもしれない。
明晰夢と想像
明晰夢という言葉があるけれど、夢は自由自在に想像できて、夢の中で現実感があれば、ある意味、何でも自由自在。但し、自分の想像の範囲を超えることはできない。
しかし、夢のある変性意識を、明晰夢の言葉で片付けてしまうのは、あまりにも惜しい。
強い想像力は、強い信念は、現実社会に影響を及ぼす。つまり、最初は、想像の明晰夢であっても、やがてその想像が現実社会に影響を及ぼすようになって現実化する。
そうなると夢と現実の境界線の定義が曖昧になる。
だんだんと楽しい夢のある話になってきた。
想像力が現実を変える
シータ波の変性意識状態のまま、強い想像力で現実を想うと、現実社会へ影響が出てくる。
さて、神仏も自分の想像がつくり現実化した、想像の産物で現実に存在するかもしれない。
ただし、その場合、その人にとっては、ということになる。
常識の日本語は、英語でCommon Sense(共通のセンス)、つまり、想像の産物が現実社会で共有化できれば、いわゆる常識の市民権を得る。
強い信念と想像力、そしてシータ波(変性意識)で、微力ながら実験してみようと思う。
立派な理論や思想があっても「じゃあ、どうすれば良いの?」ということに応えた指南書を探すのに苦慮するが、ヘミシンクは現時点で、最高のツールではないかと思う次第なのです。