移動中に見かけるお地蔵さんや小さな祠の観音菩薩など、いわゆる野仏。時々、誰かがお世話をしている野仏、誰も世話をしている様子がなく周囲に草が生え放題の野仏など、を見かけることがある。
野仏の前で両掌が熱く光るF10
世話をしてもらっている野仏は自らの使命に生きる様子がうかがえるが、誰も世話にもなっていない野仏は生い茂る草木の中でなんとなく寂しい思いをしている。
決して恨んだりはしていない。
生い茂る草木の中の野仏を定期的に訪れていると、不思議と笑顔に変わる瞬間がある。そんな時、野仏の前で感覚的に両掌が熱く光る。ヘミシンクのF10へ移行する時と同じ。
ヘミシンクを始める前は、両掌が熱く光ことを意識しなかったが、最近はヘミシンクでCDを聞かなくても、横にならなくても、両掌が熱く光る。
テレビを見たり、歩いていても、両掌が熱く光ることがあり、不思議だなぁと思いながら、誰に言っても理解が得られないだろうと思うし、自分でもうまく説明できない。
ヘミシンクのフォーカスレベルによって、有機物だけでもなく無機物とでもコミュニケーションできるのかな?